Matsuyama's Room

時計の楽しみ

 時計という装置に興味を持ったのは、幼い時代に父が愛用していた懐中時計や、居間の柱にかけられていた掛け時計のゼンマイを、毎日曜日になると父が鍵をもって巻き上げる姿を、あこがれを持って眺めていたからだった。
 つまり父は家族の過ごす時間をコントロールする、力強い存在だったわけである。
 昭和20年代、二か月に一度、二週間ほどの商売のための出張に出かけていた父にとって、正確な時間を示してくれる時計の存在は大切なものであった。
 舶来品が好みだった父が愛用していたのは、アメリカン・ウオルサムの懐中時計だった。
 そして毎日のように僕を自転車に乗せて、近くの東山トンネルを見下ろす、陸橋のところに連れて行ってくれたのだった。
 それは蒸気機関車C62が特急『つばめ號』を牽引して、トンネルから姿を現すのを見に行くためだった。
 そして定刻通り『つばめ號』がやってくると、国鉄の優秀さとともに、自分の愛用するウオルサムの精度の良さを確認するのだ。 
 そんな父の姿を見て、僕も大人になったらおなじように振舞いたいと思ったようだった。
 その父の愛用品は、彼が無くなった時に、だれか親戚の人が形見分にもっていってしまったので、今は僕の手元にはない。

 そんな欠落感もあって、自分が時計を使う年齢になった時に、自分に似合う時計探しを始めたのだった。
 十代の終わりごろの僕は、芸術家気取りに暮らしていて、時間なんかに縛られるものかと、反抗的だったのと、貧しかったために時計を持つことを拒んでいたのだった。

 それはクオーツの出現の時代にも重なっていて、ブラックボックスの様なその存在が不気味にも思えた。
 1972年に初めてアメリカに出かけた頃、僕はハンフリーボカードなどの映画が好きで、1940年代のアメリカ映画に登場する男たちの手元を飾る、アールデコスタイルのデザインの腕時計なら、身に着けてみたいと思うようになり、サンフランシスコ郊外のフリーマーケットで、デッドストックの腕時計を手に入れたのだった。
 その時計を愛用し始めて以来、その細密なメカニズムに魅力を覚え、このようなものを作る技術を絶やしてはならないと思うようになったのだった。
 その70年代初頭は、日本初のクオーツが世界を変えようとしており、時計製造の本場であったスイスでさえも、クオーツの波に乗り遅れてはならぬとばかり、機械式時計製造をスポイルし始めていたのだ。
 その時代町の時計屋さんに、古い機械式時計はありませんかと訪ね歩いては、いくつもの古時計や、売れ残りだった機械式時計をあつめるようになった。
 それはもう機械式が作られなくなるかもしれないと考えたからで、やがてそれらの時計を写真に撮り、当時関わっていた雑誌“POPEYE”の記事にしたところ、結構な反響があり、その記事を読んで、機械式時計に興味を持つ人が増えたのだった。
 またそのクオーツの時代になっても、頑固なほどに機械式を中心に時計を作っていた”ROLEX”社にも僕は興味を持つようになり、その魅力についても”BURUTUS”誌などに書くようになったのだった。
 さて、これからその時代のことや、時計を通じて知り合うことができた、魅力的な時計世界の住人、その人々が生み出した、歴史に残る時計装置について語っていくこととしよう。